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続三丁目の夕日

 テレビで「続三丁目の夕日」が放送されると聞いて、「えっ、もうやるの」という気分でしたが、恥ずかしながら映画館に行かなかった人間としてはありがたい限りでした。
 映画について何か語ろうとするとき(映画に限らないけれど)、その作品を楽しんでいる自分をある程度突き放して眺めないと何も書けないものです。困ったことに、なぜかこの作品ではそれができない。前作では途中からメロメロになってしまったので、今回は意識的に平静を保ちながら見ようとしたのですが、無理でした。
 いくつか気になるところもないわけではありません。例えば、当時の芥川賞受賞者が何人もの記者を集められるほど脚光を浴びていたわけがない。その当時の受賞者であり、かつ、子役須賀健太クンにその名前を貸した吉行淳之介氏は、結核で入院していた清瀬病院で受賞の知らせを受け取ったときの模様を次のように書いています。「その夜(芥川賞選衡の夜)、消灯時刻の八時を一時間ほど過ぎたとき、真暗な病室の中を看護婦の懐中電灯の輪が近よってきて、私のベッドの傍で停った。私は、受賞したな、とおもった。看護婦は、『いま電話があって、なんだかよくわかんないんだけど、ナントカ賞とかいっていたわ』といい、私が『わかりました』というと、『それでわかるの』と立ち去っていった。」それに続けて、芥川賞の発表が新聞の社会面で大きく扱われるようになったのは石原慎太郎の受賞以来である、とも述べています。
 ただこれは、当時の状況を無視したというよりは、作家が社会的に脚光を浴びる契機を描きたいがために、観客たる私たちにもなじみの深い芥川賞を扱っただけのことかもしれません。
 結局「三丁目の夕日」にしてもこの続編にしても、今の自分は何かを語れるような状態ではないように思えます。タイトルが画面に現れた瞬間に映画の世界にのめりこみ、ほとんど惑溺という状態で二時間余を過した者に、余りまともなことは喋られませんから。
 俳優さんたちはすべてステキでした。中心人物だけ取り上げても、堤真一、吉岡秀隆、薬師丸ひろ子、小日向文世、そして小雪。
 ただあの世界にのめりこんだのは俳優陣の演技だけが原因ではないような気がします。私の心にある、いわば、原風景ともいうべきものがこの映画によって確認できた、といった感動でしょうか。そして私のようなオジサンばかりでなく若い人々にも作品を指示している人が多いということは、昭和三十年代の舞台設定を越えて、普遍的な原風景を「三丁目の夕日」は提示しているということなのでしょう。
 
後日追記
 石原慎太郎が芥川賞を受けたのは昭和三十一年であったことを失念しておりました。ということは、上記の論理は成り立たないわけです。失礼!

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