書籍・雑誌

倖田來未→夏目漱石

 節目となる先月二十三日以来狂ったようにパチンコ屋に入り浸っておりました。二日間を除いてずっと勝ち続けていたのであります。別にデータを読んで台を選ぶわけでもなく、釘の調整具合を確かめるわけでもなく、なんとなく座った台でなんとなく出してなんとなく勝ってしまうという状況がほぼ三週間も続いたということになるわけで、前代未聞と言って良いでしょう。
 中でも倖田來未嬢をモチーフにした台とはほとんど毎日付き合い続け、連日「キューティー・ハニー」などのプロモーションビデオを眺める羽目になってしまいました。
 ところが、昨日、一昨日と大敗を喫してしまった。好きな物言いではないけれど、まさに「シャレにならんぜよ」と言うくらいの大負け。まだまだ消費していない勝ち分があるとはいえ、これ以上のめり込むのはちょっと危険だろうな、という判断が働いて暫く店から離れることにしました。
 そういうわけで、読書に専念しようと本棚に目を向けると、ここ何年も無沙汰している夏目漱石全集が。昭和二十九年から三十年にかけて創芸社から発行されたもので、当然ながら旧字体が使用されています。全集とはいえ、全十二巻のうち一巻が欠けており古本屋に売っても安く買い叩かれてしまうのが落ちだということで、昔知人から譲り受けたもの。今日は第二巻の「二百十日」と「野分」を読了。今日はこむつかしい理論を並べ立てる気がしないので、気分的なレベルでいってしまうと、やはり明治・大正期の作品は旧字体で読むほうが雰囲気があって好ましく思われます。

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私の読書法

 昔買った岩波新書「私の読書法」再読。
 今更他の人の読書法を参考にしようというわけではない。懐かしい気分に引きずられて手にしたまでである。だいたい杉浦明平氏の「一月・一万ページ」なんて極端に本を読むのが遅い私にとって参考になりうるわけがない。優しい知人は「文を味わって読んでいるから遅くなるわけで、それはそれでいいんじゃないの」と慰めてくれる。時には―例えば荷風や谷崎を読むときなど―玩読することもあるが、ほとんどの場合理解力が追いつかないだけなのだ。渡辺照宏氏が引用するように「速読と理解とは大体において正比例する」ように思われる。もう少しは速く読めるようになりたい。
 さまざまな分野で活躍されている(あるいは、活躍された)方々の読書法は、参考にするつもりはないとは言え、各人の人柄が滲み出ていて面白い。
 特に吉田洋一氏の文は楽しめた。曰く、自分が読みたいと思うものを読めばいい。また曰く、文芸作品は面白ければそれでよい。ごく常識的な意見といえるが、それをわかっていない人は多い。議論の相手を論破するために有名作家、著述家を引き合いに出す人が結構いるものだ。「あなたのように時代を大局的に捉えられないような人は○○○○(作家名)の『××××』(作品名)を読むべきですな」という具合。こういうことを口にされるとうんざりする。権威主義であるばかりでなく、文芸と個人の関係を一義的にしか考えられないらしい。詰らない「読書法」である。

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